タイトル 世界のごみ箱

「護美箱」の話

 日本語というのは「当て字」の得意な言語で,スポーツ新聞の見出しなどは当て字のオンパレードである。
 先日”藤川,痛恨の一泣!”などというのを見かけたが,「泣」を「きゅう」と読む単語などは「号泣」ぐらいしか思い浮かばない。つまり「泣」をみても普通は”きゅう”とは思わないのである。
 ところが「痛恨の一泣」となっていればほとんどの人は読めるだろう。まず”痛恨の一球”という言葉が頭に浮かび,続いて「泣けるほど厳しかったんだな〜」というイメージが浮かんでくる。これはなかなか高度な文章表現と言えそうだし,「泣(きゅう)」の読みを確認させる効果もあるようだ。もっとも,この手の表現を使いすぎると,文章の品が無くなるが……。

 子供の時に見て,いたく感心した当て字に「護美箱」というものがある。「護」は結構難しい字だったが,ごみ箱であることは容易に理解できたから「ごみばこ」とすぐに読めたのだろう。ごみ箱は確かに「美を護る箱」だから意味的にもピッタリで,全くうまい字を当てたものだと感心したものだ。
 しかし,これなども「護美箱」だから成立するのであり,箱がないと「ごみ=美を護る」でとたんに意味が通らなくなってしまう。当て字というのは,意味をよく考えた上で当てる必要があるようだ。
 

ごみ箱写真
ごみ箱がごみであふれて,美観を損ねるというのもよくある話。
うちの大学のごみ箱なんですが……。




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