みどりむし 第14号











ごみ処理行政の移り変わり


 「ごみを処分してくれるのは自治体の仕事」と、現在では誰もが当たり前のように考えています。しかし自治体がごみを扱うようになったのは明治中期、今から百年ほど昔のことで、それ以前は行政が処分することはありませんでした。では、なぜごみ処理が行政サービスになってしまったのでしょうか。その歴史的な流れを追っていくと、ごみ問題の別の側面が見えてくるかもしれません。

1.ごみ行政の始まり
 明治初期まで、ごみは塵芥(ごみ)屋やくず拾いなどによって分別され、資源として売られて、徹底した再利用が行なわれていました。こういった業者は以後も存在するのですが、概して再資源は価格が不安定であることなどから事業の拡大にはつながらず、行政がごみ処理に手をつけはじめたこともあって現在では古紙回収など一部の業種が残るのみになっています。
 政府がごみ処理に手を出したきっかけは、伝染病でした。周期的に大流行するコレラ、そしてペストの上陸に、明治政治は頭を抱えていました。そして都市の衛生を維持するための対策として、明治33年、汚物掃除法が制定されました。これによって「ごみはなるべく焼却する」という政府の方針が打ち出され、自治体がごみ処分の管理義務を負うことになりました。この方針は現在まで引き継がれることになります。行政の行なっているごみの焼却処分の根拠というのは、主として衛生上の問題であるというわけです。

2.戦前まで
 汚物掃除法がつくられても、焼却炉の建設には経費がかかり、焼却炉からのばい煙や臭気を抑える技術も発達していなかったため、焼却法は簡単には普及しませんでした。しかし国の殖産興業政策の中で自治体にある程度の財政的余裕が生まれてくると、国は汚物掃除法を改正します(昭和5年)。そして、ごみ処理に関する自治体にの義務責任をより一層強くしました。こうして処理場や処分場が各自治体に普及するにつれて、ごみ処理が行政サービスとして定着していったようです。

3.戦中・戦後の動き
 戦時中は人手不足で収集がうまくいかなくなり、また物資が不足していたこともあって行政側も積極的に減量運動・再利用運動に乗り出していました。戦争がおわるころには焼却場は空襲で破壊されたり、他の工場や畑などに転用されたりしていたので、ほとんど元の姿とどめていませんでした。そのため都市の衛生状態も極めて悪いものでした。
 戦後はまず占領軍によって処理施設復旧の司令が出されました。しかしその後のごみの急激な増加のために、処理場建設その他の費用を地方財政だけではまかないきれないという問題が出てきました。そこで戦前から引き継がれてきた汚物掃除法が廃止され、昭和29年、新たに清掃法が制定されて、ごみ処理のために国から補助金が出るようになりました。
 その後も社会問題を後追いする形で法律が制定、改正されていきます。いわゆる高度経済成長を背景にごみの増加率も高くなり、特に産業廃棄物の量は家庭ごみを上回るまでになりました。そこでごみの質・量の変化や、無視できなくなった産廃に対処するために、昭和45年、「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」(廃棄物処理法)が制定されます。産廃の不法投棄が絶えず、処分場の絶対的な不足から、ごみの減量と再利用が叫ばれている現状を受けて、昨年、廃棄物処理法が改正され、そのうえ新たに「再生資源の利用の促進に関する法律」(リサイクル法)が制定されました。しかしこの二本立ての法律にも、まだ課題は山積みです。特に産廃問題は歴史が浅いためか、法律はできても実際はほとんど民間まかせで野放しの状態です。
 非常に大ざっぱでしたがごみ行政の流れを追ってみると、伝染病を予防するための事業の一環として始まったのが、いつの間にかそれが行政サービスとしてあたりまえのこととなり、社会の変化に対応するべく、その分野を拡げてきたといえるでしょう。しかし産廃など、まだほとんど手つかずの分野もあります。こういった方面に対して国や自治体はもっと積極的に手を打つべきでしょう。現代の産業構造を見る限り、市民の生活を安全で快適なものにするためには確かに行政側の努力が必要です。けれども自治体が塵芥(ごみ)屋の代わりを進んで引き受けるようになったのは、それなりの理由があったことを忘れてはなりません。ごみ行政の将来を見据えた上で、「衛生的な」生活を営もうと考えるなら、やはり「ごみを出さない」努力をするべきではないでしょうか。

参考文献
溝入茂「ごみの百年史−処理技術の移りかわり」  學藝書林
            (花子)



大江健三郎「ピンチランナー調書」 新潮文庫
 <核の力を非権力の手に、しかしおまえたち反・革命のゴロツキの手にじゃなく!>
  作品を読み進めているうち、この文句に出会った。反原発集会の会場に張られていた横断幕に書かれていたという言葉。多くの人の注目はおどろおどろしい後半部に集まることだろうが、次に述べる文脈に重ねることで僕は最初の一節にとらわれ続けた。
 実はこの集会のキモイリの女性、この作品の中で重要な人物だが、彼女の反原発運動は某「革命党派」の上からのコントロールをうけている、というのがこの話の設定。ゴロツキ云々は無論対立セクトへの悪罵だ。そしてなにより重要なことに、この某党派は核武装による国家転覆を、つまり自力で原爆をつくりそれで支配者や民衆を脅迫して首都を制圧する計画を抱いている。権力によって緻密に管理された核である原発には反対する、しかし自分らの原爆はあらゆる点から正当化される−−革命党派の主張を代弁するとこうだろう。
 さて、一体<非権力>とは何だろうか?核を持つことを自他ともに許すような、そんな存在があるのか。僕はこの疑問をのらくらとやり過ごすかわりに、こう言っておく。僕はかなりの程度権力志向的な人間だ。核爆弾など前にしたら、支配欲をくすぐられ、メロメロになってしまうだろう。こういう弱さを自覚するからこそ、僕は核を拒否するし、拒否できる。欲望ぐるみ否定してうそぶいているような人間のストイシズムなんて、クソ食らえだ。
 例の女性は「疎外」という歯切れの悪い言葉で、党派のそうした路線に一定の疑問を持つが、それを行動に映せない。その脇をすりぬけるように、NO!をはっきりつきつけたのは僕たちが思いもよらない人物だった! が、おしゃべりが過ぎたようだ。もうやめておく。
それにしても、こんな書評ではこの作品の根本的なハチャメチャさ、痛快さは1%も伝わらない。どうか実際に手にして読んで下さい。それがこの小文の唯一最大の主張です。          (喬)





 聞くところによると、現在、北部構内への車両通行に対して、各門にゲートを設けて規制してゆこうという論議がなされているという。そういえば北部構内の北の道路には、明らかに車庫代わりに使用していると分かる他府県ナンバーの車が見受けられるし、中には、乗り捨てられたと思われるボロボロの車(ゴミ?)もある。また、思わず見識を疑ってしまうほど無法な車の停め方をしている輩がいることも確かだ。
 最近、年末ということからか、車庫法の改変によるものかは知らぬが、家の近所の丸山書店前で、違法駐車の取締りをよく見掛ける。ところが、少し離れたところに、ずらりと違法駐車が並んでいたりして、その「いたちごっこ」ぶりには苦笑を禁じえないものがある。
 国内だけで6千万台を越えるといわれる車社会の問題の本質を捉えず、ゲートの設置などといった小手先の処置で対応し、管理化を推し進めようとする大学当局、不必要に車を乗りまわす者、筆者には、今回のゲート設置問題がこの2者の演ずる「いたちごっこ」に思えてならない。大学当局関係者、ドライバーの諸氏にお尋ねしたい、「自治」という言葉をご存じか。 (日和)







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